天理教人名辞典 岸本久太郎 きしもときゅうたろう

岸本久太郎 きしもときゅうたろう

大阪府西区阿波堀通4丁目14番地(現、大阪市西区阿波座)に生まれた。

生年月日不詳。船場系信者。

明治14年(1881)風邪で病臥していた折、向かいの家に住む梅谷四郎兵衛(明心組講元。のち船場大教会初代会長)から「にをいがけ」を受け、9月16日梅谷講元初め岸本久太郎外11名がおぢばに団参した。

17日には他の団体もおやしきに泊り、中山家より警察へ届け出がなかったと、警察は責任者の呼び出しを命じた。

中山家では秀司出直し(明治14年4月8日)の後であり、当時家事取り締まりに当たっていた山澤良治郎が出向き、9月18日付けの手続書を取られた。

岸本久太郎(25歳)は初帰参者の一人であったが、このふしに遭遇し、9月17日付けの口書を警察へ提出した。

口書には入信の経緯を述べている。

梅谷四郎兵衛は明治17年、心学道話講究所・天輪王社を大阪府順慶町通1丁目9番地に設置した。

当時の主な信者の一人として岸本久太郎の名が見える(『梅谷文書』64ページ、『船場大教会史』83ページ、『稿本天理教教祖伝』155ページ)。